聖書、資本論 時代遅れ



 聖書は2000年以上前、資本論は150年以上前、に作られた。だから時代遅れで、現代には通用しない。それは是とすべきだろう。

時代時代で解釈や論理の組み立てを書き換えて、人の、お金の内在論理から聖書は、資本論は、通用する。と言うのはやはり無理がある。

 それでも、近代科学革命と宗教改革を超え、世界経済システムの拡大を超えて、全面崩壊しないのはなぜだろう。

 内在論理のそこにある神と資本の根本的な力なのだろう。それにともなう総合知なのだろうか。

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本気で大切なもののために神や資本に立ち向かう人々が聖書や資本論を破り捨てる時が来るのは、悪くない。それは、むしろ、聖書や資本論

の完成なのだ。

 不完全を、見つめるため、聖書は資本論はある、