新旧訳聖書のワ-クショップ3回目

新旧訳聖書のワ-クショップ3回目

 もともと教養としての聖書のワ-クショップを行うつもりだったが、文学、哲学、絵画、音楽に限定するつもりはなかった。

創世記から始めるのはそのためで、宇宙、天地、人間の生まれについて、思い浮かばざるを得ない。

 イエスの誕生で、占星術の学者が現れる。当時としては最先端の科学者だったのだと思う。いや、当時文理の区別はなく、もっと高い次元

に位置していたのだと思う。

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 マタイの5章6章を読み進めるにつれ、律法は否定するのではなく、完成させるため、厳しい説教が続く。この厳しさはどこから来るのだろ

う。

ユダヤ人が国を失い、ロ-マ帝国の支配下で、ユダヤ教団が当時の状況に対応できなく。なり、共同体の動揺が、イエスを生み出したともいえ

る。同時期の仏教も似たようなことがあるのかもしれない。

 さらに、先にはロ-マ帝国の維持のためにキリスト教が広がつたともいえる。それは、福音書から使徒伝、使徒の手紙へとつながる。

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 律法を完成させる、ふと思う未完の世界に私たちはいる。逆に多くが生まれ蠢く余地があるのだ。聖書の原典寄りすぎても、寄らなさ過ぎて

も余地は上手働かない。変わりゆく世界を読み解くため 政治学、科学、哲学の多くの最先端の学問領域がこの余白に入れ込み、聖書を読み解き

なおす

 

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 なぜ、一神教が生まれたのだろう。社会の構造なのか、言語構造なのか。その論理に従い、哲学も科学も神学も展開している。

その構造で神を否定しても、神はあらわれる。神は言葉だからといってしまえば皮肉なことだ。だが、キリスト教拡大により、抑えれらた現地

信仰は、聖書の世界でもところどころに吹き出してくる。

  
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 世界では、教会の暦に従い聖書を読んでいく。未完のこの世界の歴史を広くだどりながら、世界と聖書をこれからも読んで行きたい。