宇治川のさらに奥で 言葉の苗床

 宇治川のさらに奥で 言葉の苗床

 曾祖父、祖父、父、家族、親族が生活し過ごした宇治の奥にあるとある修験道の寺を訪ねた。偶然旅行先で訪ねることができた。彼らに導かれるように。戦前、戦中、戦後の数々の人生が私の中をよぎる。私はこの地に来たかった。亡くなった血族の苦しみは思いに触れ、生きた
土地に降り立って見たかった。私は言葉にならない声を感じた。言葉の苗床を感じた。

 宇治川沿いを歩き、そこに生きる人々の家々を見つめる奥に広がる山を見つめる。源氏物語、貴公子の恋愛物語で沸き立つ観光名所は、色あせて見える。道を上り、寺を目指す。寺の門をとおり、紅葉が広がり、上に本堂が見える。曾祖父がささげてきた祈りの声が、山の中を歩いた足音が、静かに聞こえる。山の上にそびえる本堂からその周りに色ずき、そよぐ紅葉から、そこから連なる我が地族のな悲しみも。様々な不条理な思いも、人生も、すべて曾祖父の祈りが歩いた足音が、時間の流れとともに流してゆく。

 今日見た光景は私の言葉の苗床となり、言葉を生み出していくだろう、私は今日の光景を忘れない。