転向 ボスト資本主義 新中世

転向 ボスト資本主義 新中世 3つの論文メモを作成している。

私の論文サイトを私の尊敬しているひとかリンクしてくれたせいもあるが、私の核心でそれに、答えたい。

転向 

 キリスト教や社会科学を信じていても、窮地に陥るとそれを投げ出し、悔やむか、それを否定し、歪め、別のものに逃げ込む。
その過程を見つめることが自分の核心。日本語や英語の思考過程が脆弱で、いま、文を書いていてこの問題を考えると揺らぐ。
 転向は西洋言語の構造にもとずく思想、信仰の展開過程の差によるものものなのか、元来の自分の弱さのものなのか。
その無自覚と歪んだ目が、自分の醜さを拡大させている。私はそう思っている。

 日本語と英語で自分の思考過程を見つめる。それが思想と信仰の基本なのだるう。どこから欺瞞が始まったか。
 状況分析に資する論理が、のぞむ状況が見えると思い込む理屈、イメージ作成に変わる瞬間。言葉の射程距離、思想の射程距離、変わるものと変わらないもの。空間と時間の距離。立っている地理的位置、様々な地図上の自分の位置、その先に核心がある。

 いや夢を見るために、聖書と社会科学、カント、ヘーゲルマルクスの一部を最初から読み飛ばしたのかもしれない。
じゃあ、どこを飛ばしたのか。