二つの絶望 読めれない手紙。

二つの絶望 読まれない手紙

 今日偶然32年前に絶望して通い始めた教会のミサに出た

 自分に絶望して無神論を捨てた32年前、パウロのローマ人への手紙をかたてに教会の門をたたいた、

 今、32年を経て、しるしの出ない自分がいる、まるで宣教を続けても、教会は分裂し、帝国に逮捕され牢屋に放り込まれ手紙を書くパウロの姿と自分が被る

 外から見ると絶望的な状況だけれど、パウロは絶望していなかった、

 それは、神に出会い会話して世界を歩き続け、生きて来たから、最後に、牢屋から照らす月の光に照らされて手紙を書き続けた

 その手紙はそれから今に至るまで多くの人を照らす

 そして私も会話してき多くの世界を旅して来たから、結果が、でなくてもいい、正確に言うと

 結果が出るように働きかけ工夫し続けるけれど、でなくても仕方ない

 32年経ても変わらないあの教会の歌声が響く、その奥にパウロが手紙を書く音が聞こえる

 私も読まれるためにこころをこめ、相手を考えて書くが今は読まれないかも知れない手紙を書き続けようと思う