旧約新訳聖書同時に読む 創世記 2 マタイ福音

旧約新訳聖書同時に読む 創世記 2 マタイ福音

聖書をそのまま読んだり朗読したら、教会からの束縛やフィルターを外して伝わるかと思っていた。一旦。哲学や神学、教会の言説から離れた

方がいいと。しかし、時代背景から説き起こして言葉をほぐして伝えてもらわないとわからないと言われた。聖書の言葉はそのまま現代に通じ

ないと。
 
  聖書とその時代ごとの学問、歴史学、哲学は常に補い合う。

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 創世記には男女の起原が描かれている。男の骨から女が作られる。そして一体となる。同性愛の否定の根拠となり、また男女差別の論拠

となる。そのまま読むと矛盾や反発する要素がある。そして聖書は争いのもととなる。

 新旧をあわせて読むと私はその争いが少なくとも減ると思っている。男女が助け合うように、新旧は補いあっている。

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15 主 なる 神 は 人 を 連れ て 来 て、 エデン の 園 に 住まわ せ、 人 が そこ を 耕し、 守る よう にさ れ た。 16 主 なる 神 は 人 に 命じ て 言わ れ た。 「園 の すべて の 木 から 取っ て 食べ なさい。 17 ただし、 善悪 の 知識 の 木 からは、 決して 食べ ては なら ない。 食べる と 必ず 死ん で しまう。」 18 主 なる 神 は 言わ れ た。 「人 が 独り で いる のは 良く ない。 彼 に 合う 助ける 者 を 造ろ う。」

19 主 なる 神 は、 野 の あらゆる 獣、 空 の あらゆる 鳥 を 土 で 形づくり、 人 の ところ へ 持っ て 来 て、 人 が それぞれ を どう 呼ぶ か 見 て おら れ た。 人 が 呼ぶ と、 それ は すべて、 生き物 の 名 と なっ た。 20 人 は あらゆる 家畜、 空 の 鳥、 野 の あらゆる 獣 に 名 を 付け た が、 自分 に 合う 助ける 者 は 見つける こと が でき なかっ た。 21 主 なる 神 は そこで、 人 を 深い 眠り に 落とさ れ た。 人 が 眠り込む と、 あばら骨 の 一部 を 抜き取り、 その 跡 を 肉 で ふさが れ た。 22 そして、 人 から 抜き取っ た あばら骨 で 女 を 造り上げ られ た。 主 なる 神 が 彼女 を 人 の ところ へ 連れ て 来ら れる と、 23 人 は 言っ た。 「ついに、 これ こそ わたし の 骨 の 骨 わたし の 肉 の 肉。 これ を こそ、 女( イシャー) と 呼ぼ うまさに、 男( イシュ) から 取ら れ た もの だ から。」 24 こういう わけ で、 男 は 父母 を 離れ て 女 と 結ば れ、 二人 は 一体 と なる。 25 人 と 妻 は 二人 とも 裸 で あっ た が、 恥ずかし がり は し なかっ た。