枝の主日にて 哲学と宗教

枝の主日にて 哲学と宗教     今日は受難の主日 磔になることを予知しながら、エルサレムに入城した日。世界中でお祈りが捧げられる。今週は磔にから復活を。磔になることを認識することはどんな思いなのだろう。  哲学は答えが出ない、それは哲学の欠点だと最近思っていた。だけれど答えが出ないのは、哲学するひとの人間への愛と信頼なのかもしれない。神の思いは推し量れないが、考え、信じる。そんな、時間が始まる。