聖金曜日

はじめに言葉ありき
 
世界中のカトリック教会で
エスの受難を忍ぶ聖金曜日
の儀式が執り行われる


自分の身代わりにイエスがなってくれた。よく信者でない
日本人もよくこの レーズは聞くと思うが、なかなか理解しがたいだろう。さらに、このあとイエスが復活するというとなおさら理解し難いのではないだろうか

それに対する説明の言葉を
今も持ち合わせてはいない。

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もともと私は天に唯一神がいると感じるし、自分か原罪のある存在とも思っている。

聖書の言葉、いや言葉そのもの力も
自然なものと捉えている。
 
 だから、身代わりも復活も
そんなに違和感がない。

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 言葉で必死に若い頃神を否定しようとして、神は、言葉の奥から現れた。は

 涙と血をすいとりながら

はじめに言葉ありき、とこしえに