文学は言葉を無に帰する業 吉田 健一

文学は言葉を無に帰する業 吉田 健一

シェイクスピア、イギリスの詩人、トマスハ-ディ 私の実家の書斎 そこに、吉田 健一があった。

 吉田 健一を始めて手に取る、吉田茂の息子でありながら、政治の世界を隔絶し、当時はやりの私小説からも、東洋西洋。資本労組の対立

の構図から離れ、無頼だが静かに、小説、と随想、評論を書き続けてきた人

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 父が好きだったのか、祖父が好きだったのかわからない。私マルクスを通して、口ででなく本を通じて父と語りあってきた。

また、シェイクスピア、イギリスの詩人、トマスハ-ディを通じて、一度もあったことのない祖父と語りあってきた。

 
 私小説からも、東洋西洋。資本労組の対立の構図に疲れた私に 文学は言葉を無に帰する業の言葉が響く

 捉われた言葉が、自分を縛る、だけど別の言葉は通りすぎ、言葉は消え、静かに時間は流れる

 祖父と父が酒を酌み交わしている中で、私も二人に呼ばれた感覚にとらわれる。

 文学は言葉を無に帰する業 吉田 健一