転向 踏み絵 3
実際に、日本語訳ににしても、カントやヘーゲルをどこまで、基本文献を読んだのか。フォイエルバッハを読んだのか。アダムスミスを読んだのか。マルクスやエンゲルスの基本文献を読んだのか。そのうえで、どこまで日本に自分に当てはめたのか。
また、聖書とキリスト教の基本文献を読んだのか。そのうえで、どこまで日本に自分に当てはめたのか。また、日本の構造に吸い取られたのか
まず自分に当てはめてみたい。解体と盲従の間に何も見いだせなかったのか。
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私は、確かに、基本文献を読んだが、これらの、プラトンからフォイエルバッハまで、資本の収奪構造の下支えの歴史という観点のみで読んできた。聖書も同じ。科学、哲学、政治学と神学のバランス、つながり、すみわけを、無視してしまった。